👀コロナ禍での変化がここにも
久しぶりに地元の神社へお参りにでかけた。
毎年春先にお参りに行っていたけど今年は例の問題が起きたから先延ばしになっていた。
手水も、ひしゃくを使わずに手を洗えるシステムに変わっており、変化を感じる。
本当はお清めの塩を買う予定だったのだ。
しかし、これまで紙袋入りで300円だったのに、プラケース(しかも小さい)に入って600円に値上がりしており、買うのをやめた。
いくら神様でも値上げ反対(笑)
👀わずらわしいことにわずらわされたくないという願い
さて、ワタシが毎度毎度、神社で必ず祈ることがある。
それは、
「わずらわしいことに煩わされませんように」
もう10年以上、願望はこれ。つまり、ワタシの願いというのは、この文言に全て集約されているのだ。
面倒なことに巻き込まれたときには、わずらわしいことに煩わされませんように。
とても幸せなときにも、(今後)わずらわしいことに煩わされませんように。
「わずらわしいことが起こりませんように」ではなく、わずらわしいことが起きても、自分が煩わされなければ良いと祈っている。
控え目デショ。
👀遠すぎるゴールは目標にはならない
全ての煩わしいことやトラブルをなくそうなんて、図々しいことはいわないワ。
それに、全ての人間同士が平等で争わない愛に満ちた世界を……なんて、まず人が人である以上無理。生物というのは不完全なもの。
でも、「自分が煩わされませんように」くらいであれば、希望アリって気がしない?
うまいこと障害やトラブルを回避して、要領よく生きていきたい。
例えば、「交通事故をゼロにしてください!」なんて、神でも仏でもトヨタでも、どれだけ祈ろうが叶えられるわけがない。
でも、「交通事故に遭いませんように」くらいなら叶えられそうな気がするでしょ。
👀わずらわしいことにわずらわされないコツ
モチロン、神頼みにだけ頼っているわけではない。
面倒ごとが生じそうなら、丸ごと断捨離。人でもモノでも。
何でもかんでもぶん投げたり、切り捨てたりするわけではない。「頭と尻尾はくれてやれ」を忠実に実行していく。
どのような問題がこの世に生じようとも、
「あ~退屈で幸せ」
「あ~何も問題がなくて幸せ」
って言いながら、何も知らずに天寿をまっとうしたい。