👀【人生終了】セミリタイアはゲームクリア後の世界だった
セミリタイアして、良い意味でも悪い意味でも、
もう人生終わった感がある。
ドラクエでいうクリア後の世界的な。
もちろん、「この世」というゲームのやり込み要素を探して、
楽しく過ごしているけれど……。
夢中さ、必死さみたいな情熱が薄れているのはどうしても感じる。
結局は、安全なところからゲームをプレイしているからだ。
👀人生は家を買うまでがひとつの大きな目途だった
人生を振り返ると、
やはり家を買うまでがひとつの大きな目途だったというか。
節目だったというか。
現在30代だけど、おそらくこの家が終の棲家になる。
余程の田舎で合わないとか、街中過ぎて固定費や固定資産税がかかる、
というわけでもない。
東京23区ほどではないが、
東京の田舎よりはそこそこ整っているいわゆる地方都市。
👀だから、ワタシたちは、ここで人生を終える
つまり、例えば医療が貧弱、税や維持費が高い、といった
年老いたときに「不便」すぎて、生活し続けられないことがない。
実際に、近所を見渡しても宅配や介護等のサービスを利用し、
暮らしている老人宅は多い。
それを見ていると思うのだ。
だから、ワタシたちは、ここで人生を終えるのだろうと。
👀何がどうなるかわからなかった頃が懐かしい
中古だけれど戸建ての家を手に入れてほっとした半面、
どこか寂しさを感じる。
まだ、何がどうなるかわからなかった頃が妙に懐かしく、
輝いていたように思えてしまう。
将来はどこに暮らそうか?外国がいいだの、房総がいいだのと、
嬉々としながら夫と延々話し合っていた昔が、ただただ懐かしい。
👀「家を買う」のは人生を「利確」したようなもの
つまり、「家を買う」というのは、ワタシにとってある意味、
人生を「利確」したということに等しかった。
住環境は人生を、生活を決めるのだと思う。
「ワタシが新しく財閥を作る」とまでいっていた野望はどこへやら。
日々幸せではある。しかし……
すごく、小さくまとまったなぁ……と思わずにはいられない。